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突如、大通りの真ん中に出現した怪物を目にして、人々は恐慌をきたした。
悲鳴をまき散らし、我先に逃げ出していく。他の何を犠牲にしてでも、己の命を守ろうとして。
必死の形相で走る大人が、幼子を突き飛ばした。「うあっ――」小さな身体は石畳に投げ出され、逃げ惑う大人たちに容赦なく踏みつけられていく――
寸前、すいっ、と持ち上げられた。 -
ラギト
大丈夫か?
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目をぱちくりとさせる幼子の目の前で、ラギトが小さく笑う。
彼の周囲だけ、ぽっかりと空間が開いている。脇目も振らず逃げているはずの人々が、なぜかラギトに近づくことだけは避けているのだ。
ラギトは、無造作に幼子を下ろした。 -
ラギト
気をつけろよ。この
都市 で生きていくのは、なかなか大変だ。 -
幼子はこくこくとうなずき、あわててそこから駆け去っていった。
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ラギト
さて――
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人波から完全に置いていかれる形になったところで、ラギトは怪物に向き直った。
〈メアレス〉たちの攻撃を受け、満身創痍になりながら、まだ動き続けている。
門へ――現実へと至るため、立ちふさがるラギトに怒りの叫びを叩きつける。 -
ラギト
おまえを〝外〟に出すわけにはいかない。
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〈ロストメア〉の咆哮に眉ひとつ動かすことなく、ラギトは言った。
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ラギト
夢が自分で自分を叶えようとする。そんな馬鹿げた話は、この
都市 の風物に留めておくべきだ。 -
ゆらりと静かに歩み出る、その身が影に覆われていく。
〈ロストメア〉の身体が、ぎくりと強張った。まさか――という思いに襲われたのだろう。同族の気配を前にして。
その隙につけこむつもりで、ラギトは瞬発した。
武器を持つまでもない。まとった影は鋭くも禍々しい変異を見せ、全身を包む黒い〝戦装束〟と化している。 -
ラギト
――はぁあぁあああぁあぁぁああッ!
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間合に入るや否や、突き上げるような拳打を放つ。黒い装甲をまとった拳が、異形の鱗を容易に引き裂き、体内深くへ突き刺さった。
拳を引き抜く動作に合わせて回し蹴り。鋭刃一閃、敵の腹部をばくりと裂く。魔力の飛沫を目くらましに、後ろ回し蹴りで猛追。 〈夢〉の巨体が木端のごとく吹き飛ばされ、人のいなくなった地面を転がった。 -
ラギト
同種の牙だ。痛かろう。
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ラギトは、この都市で生を受け、この都市で育った。
ろくでなしの両親の元から逃げ出し、路上に生きる野良犬となった。同じ境遇の少年たちと出会って拳を交わし、やがて絆を育んだ。そのなかに、同じくらい腕っぷしの強い少年がいて、互いに親友と呼び合うようになった。
そのうち、アフリト翁に声をかけられた。〈メアレス〉の才があると言われて、悪い気はしなかった。生きていくことしか考えていない野良犬に、夢などあろうはずもない。ラギトと親友は興味本意で〈メアレス〉となり、〈ロストメア〉との戦いに身を投じた。
ふたりはたちまち頭角を現した。当然さ――そう笑い合ったものだった。俺たちゃずっと戦ってきた。そこらの連中と比べてもらっちゃ困るってもんだ。
やがて〈メアレス〉最強の呼び名をほしいままにした。〈ロストメア〉から奪った魔力を売り払い、これまでは考えられなかった大金を手に入れた。ラギトはどれだけの飯が食えるだろうかとはしゃいだが、親友は違った。〝バカだな、おまえ。これを元手に、いつかこの都市を出て一旗挙げんだよ〟
この都市以外での生き方など考えたことすらなかった。ラギトは親友の考えに同調し、外に出たらどうするか、毎夜のごとく語り合った。
それを〝夢〟と呼ぶだなんて、知らなかったのだ。
夢を持つ者は〈ロストメア〉には勝てない――そんな単純きわまる原則が、最強の〈メアレス〉と謳われたふたりを襲った。戦いのなか、敵の上げた痛ましい咆哮に呪縛され、身動きが取れなくなった。悪いことに、そのときの敵は他者との融合を夢見る手合いだった。敵はラギトと親友に取りつき、その身体を乗っ取ろうと企んだ。
恐怖と激痛――耐えがたい悪夢の時間は、すぐに終わった。
獣のような叫び声を上げた親友が、ラギトから〈ロストメア〉を引き剥がし、刺し違えたのだ。
止めようもなかった。ラギトはいまだ呪縛されていた。親友が動けた理由はただひとつ――ラギトを救うために、抱いた夢を捨てたからだった。
親友は死に、ラギトは生き残った。だが、後遺症があった。〈ロストメア〉に取り込まれかけた影響で、肉体が〈ロストメア〉と融合してしまったのだ。
一部とはいえ〈ロストメア〉を抱え込んでいる以上、門を潜ることは許されない。
結局ラギトも、夢を失うしかなかった。
再び〈メアレス〉となったラギトは、すべての迷いを捨て去り、ただ戦いに没頭した。融合した〈ロストメア〉の力すら我が物として、改めて最強の〈メアレス〉の称号を得た。
それを誇る理由は、もはやない。
今の彼に理由があるとしたら、それは―― -
ラギト
(救われた命で、何を為すかだ!)
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命。友に託され、預かったもの。もう自分だけの命ではない。友の遺志が固く染みついている。
友は夢を捨ててまで自分を助けた。その遺志が、命が託されているなら―― -
ラギト
(戦い続ける。それが俺にできるすべてだ!)
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起き上がる〈ロストメア〉へ、ゆっくりと踏み出す。こちらの力を警戒しているのだろう、敵が唸りながら一歩後退する――瞬間、ラギトは一気に距離を詰めた。ぎょっとなって硬直する怪物へ、無造作な拳の連打を叩き込む。岩をも砕く威力が立て続けに〈夢〉を襲い、再び地面へ叩き伏せた。
殴りかかってくるのを後退してかわすのは、さほど難しくない。だが、下がると同時に撃ち込まれる攻撃は、なかなか防げるものではない。このあたりの呼吸は、路上で延々と磨いてきた。〈ロストメア〉相手でも、やり方はさほど変わらない。
さらなる拳を放ったところで、〈ロストメア〉の肉体が消失した。音に聞く瞬間逃避。見上げる先、〈夢〉がほうほうの体で家壁をよじ登っていくのが見える。 -
ラギト
うまく逃げたな。あとはとどめを刺すだけか。