黄昏メアレス
プレストーリー
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〈黄昏〉 リフィルは、都市の中央にそびえる巨大な門の上から、暮れる街並みを見下ろしていた。
沈みゆく太陽が、都市に黄金の光を投げかけている。
丁寧に舗装された石畳の路地が、背の高い煉瓦造りの家々が、屋根の上からもくもくと煙を噴き上げる無数の煙突が――古めかしくも優美な街並みすべてが黄金に焼かれ、各所に複雑きわまる陰影を刻む。
長い歴史のなかで、増築に増築を、拡張に拡張を重ねた果てに築かれた巨大な迷路だ。光を受ければ受けるほど、思いもよらぬ影が立つ。人が長きに渡って積み重ねてきた、光と闇の歴史さながらに。 -
リフィル
(〝光〟の方に興味はない。見るべきは闇。まぎれこんだ影だけでいい)
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風が、髪と衣服をはためかせた。高値の人形めいた古雅な出で立ちと裏腹に、瞳は苛烈な鋭さを帯びている。揺るぎない気品に満ちた秋水の刃とでも言うべき雰囲気が、佇む少女を表すすべてだった。
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ルリアゲハ
そうやってばかりいるから、
〈黄昏〉 なんて呼ばれるのよ。 -
笑い声がした。リフィルは目線だけを背後に向ける。
この都市の文化圏とは明らかに異質でありながら、どこか相通じる風雅さをたたえた装いの女が、嫣然と微笑んでいた。 -
ルリアゲハ
で、見つかったの? 無惨な夢の残骸たちは。
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リフィル
まだ、影も形も。
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ルリアゲハ
やれやれ。夜までに見つかるよう祈りたいところね。
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リフィル
祈らない。
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リフィルは街並みに視線を戻した。
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リフィル
夢は見ない 。 -
眼下。仕事を終えた人々が、それぞれの帰路を急いでいる。黄昏の光で長く引き伸ばされた影法師が、乱れて行き交い、ぶつかり合う――ひどく忙しない影芝居。
そこに一瞬、異物が混じった。人波をかき分けて走る影。
その主は、一見、日が暮れきる前に自宅に駆け込もうと急いでいるだけの、どこにでもいる若い男にしか見えない。
だが、そんなはずがなかった 。 -
リフィル
繋げ、
〈秘儀糸〉 ! -
少女の唇から冷厳な声がこぼれる。
すると、足元に、ぼうっと輝く光の円 が生じた。
まるで古の魔法使いが用いるような、複雑怪奇な文字と模様で構成された円だ。
そこから、するりと光の糸が伸びた。リフィルは、黒い革手袋に覆われた指先でそれをつかみ、く、と鋭く引き寄せる。
応じて、糸の先――円のなかから、異様な人影が引きずり出された。
道化師じみた衣装をまとう、骨骸 の人形だ。
リフィルが指先を動かすと、光の糸が踊るように跳ねた。合わせて人形がなめらかな動作を見せ、少女の身体を丁寧に抱き上げる。 -
リフィル
来い、ルリアゲハ。
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人形が、軽やかに跳躍した。
手近な屋根の上に降り立つや、長い足を駆使して優雅に疾走。屋根から屋根へ跳び移り、路地を走る男を追う。
みるみる遠ざかっていく少女と人形を見つめ、残された女――ルリアゲハは苦笑を浮かべた。 -
ルリアゲハ
まったく。来いと言われてついていける人間が、どれだけいると思っているのやら。
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足場たる屋根を砕かんばかりの勢いで、骨の骸が疾駆する。
その騒音に、路地を行き交う人々は、ぎょっと上を見上げた。
「〈夢見ざる者〉 だ」「〈黄昏〉 リフィル!」「やべえ、巻き込まれちゃたまんねえぞ!」
夕暮れの路地に、たちまちざわめきが満ちる。 -
若者
あ? なんだ?
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麦酒 瓶の箱を運んでいた若者が、何事かと顔を上げ――
すぐ近くの屋根を駆け抜ける骸に気づき、腰を抜かした。 -
若者
う、うわああぁっ!
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尻餅をつき、腹のあたりで
麦酒 瓶の箱を受け止める。がしゃん、と瓶たちが抗議の声を漏らした。 -
壮年の男
おい、新入り。売りもんぶちまけやがったら、給金からしょっ引くぞ。
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若者
だ、だって、いや、今の!
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壮年の男
〈メアレス〉だ。この
都市 じゃ、珍しいもんじゃねえ。 -
若者
あれが、〈メアレス〉? マジにいたのか……。
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壮年の男
おまえねえ。この
都市 が夢と現実の狭間にある って、知ってて来たんじゃねえのか? -
若者
それは聞きましたけど……じゃあ、〈ロストメア〉ってのもホントにいるんすか? えっと……〝誰かが抱いて捨てた夢〟が化け物になって現れる、とかなんとかいう――
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壮年の男
当然だ。奴らが
自分を叶えようと 、この都市 を通って現実に出て行くのを防ぐために、〈メアレス〉たちが戦ってんだからな……って、おまえ、いつまで座ってる。 -
男は、若者を強引に箱ごと立たせた。
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壮年の男
あいつらが動いたってこたァ、近くに〈ロストメア〉が出たってこった。早く運べ。連中の戦いに巻き込まれたかねえだろ。
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若者
や、やっぱ、危ねえんですか?
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壮年の男
危なくねえわけねえだろ、バカ。
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告げる男の瞳には、確かな恐怖の翳りがあった。
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壮年の男
特にあの
〈黄昏〉 リフィルはな。魔法なんつう眉唾モンのイカれた力 を使いやがる。触らぬ神に祟りなしってなァ、このことだぜ、まったく。