喰牙RIZE
サイドストーリー
「ミハネ篇」
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ミハネ
…………。
ミハネは、人込みのなかを歩くのが好きだった。
〈空飛ぶ大魔道〉をトーテムとする氏族、〈空魔族〉の暮らす街は、このあたりで最も大きな商業都市だ。箒に乗って空を飛ぶ魔法に長ける〈空魔族〉は、世界各地を飛び回って商売の糸口を見つけ、多様な商路を築いてきた。彼らの里は情報の集積地となり、それを求めて多くの氏族が交流に訪れ、いつしか巨大な商業都市にまで発展したのだという。都市が大きくなれば交通の便が求められるのは必然で、四方の街道が整えられ、今では情報だけでなく物理的な商業の交差点ともなっていた。
そんな商業都市の大通りは、雑音と喧噪のるつぼである。獣人、竜人、機械人――各地から訪れた多種多様な氏族の者たちが、連れ合いと何事か話し合いながら行き来する。通りの左右には靴屋や服屋、軽食屋や酒場といった、大通りを行く人々が思わず入りたくなるような商店が立ち並んでいて、呼び込みの声が絶えない。脇道から大通りに出ると、わっと騒音の渦に呑みこまれるようだった。
生来無口なタチであり、縷々と流れる川や、静穏ながらもどこか剣呑な風情をにじませた深い森の奥といった場所を好むミハネにとっては、当然、心落ち着く場所ではない。
ミハネ
(ちょうどよい人の多さだ)
ミハネが人込みを好む理由は、そこにあった。
人込みには流れがある。多くの人間がひしめき合っているために、個々の歩く速度が自然と制限され、均一化されて、やがてひとつの流れを織りなす。しかし、ひとりひとりの動きと呼吸をはかり、その間隙を縫って進めば、流れとは無関係な速度で進むことができるし、流れに逆らうことさえ可能になる。その技術を鍛えることは、多くの敵と渡り合う技に通じる。
旅の連れ合いにそういう話をすると、
ユウェル
おまえ、ひょっとしなくてもアホだろう。
などと不本意なことを言われるが、ミハネは至ってまじめである。
武人とは、いかにして己の身を鍛え、技を培うかを常に考え続ける生き物なのだ。
都市に住んでいるならともかく、旅をしているミハネにとって、〝最適な人込み〟は得がたい修業の場である。特に今回は、連れ合いの都合で、五日ほどこの都市に逗留することになっている。その間ただじっとしているより、鍛錬を積んでいた方がはるかに有意義だ。
だから逗留二日目の今日も、朝から大通りに出向いて、人並みの中を行き来するという鍛錬を繰り返していた。
そんなミハネの目に留まる人間が、ひとり、いた。
少女である。まだ十を数えたかどうか、という年頃で、すいすいとミハネの前を歩いている――つまりミハネと同じ技術を体得している。
ミハネ
(武人か?)
幼いのになんと立派なことだろう――と注視していると、談笑している竜人の夫婦を追い抜いた少女が、サッと何かを掠め取るのが見えた。
ミハネ
(スリか)
こういう人込みにはつきものである。ただ、あの少女ほどすばやく自然にやってのけるスリには、お目にかかったことがない。一瞬感嘆したミハネだが、すぐに意識を切り替えて足を速めた。
小走りに近い速度の早足で、前をゆく人々を追い抜いていく。もし誰かが観察していたら、幽霊が身体をすり抜けていくように見えたことだろう。
そして、少女との距離が縮まり、彼女がちょうど脇路地の前を通りかかった瞬間、ミハネはその身体をサッとさらって、脇路地の中に連れ込んだ。
鮮やかな手際だった。きわめて迅速、かつ長身で少女を隠すようにして動いたため、周囲の人々は誰もその挙動に気づかなかった。少女の口元を手でふさいでいるので、騒ぎ立てられる心配もない。
連れ合いが見たら、あきれながら、
ユウェル
おまえは人さらいの達人でも目指しているのか?
と言ったことだろう。
脇路地の半ばまで進んだところで、ミハネは少女の口から手を離した。
叫び出すようなら即座にまた口をふさぐつもりだったが、相手もそれはわかっているのか、まつ毛を恐怖に震わせながら、キッとこちらを見返してきた。
少女
あ、あたしなんて金にゃなんないよ! 人さらい!
ミハネ
スリはやめろ。
微妙な沈黙が流れた。少女は〝え?〟と困惑げに眉根を寄せている。ミハネは言うべきことを言ったつもりだったが、伝わらなかったのだろうか。
少女
ここ、あんたの縄張り?
なら悪かったよ。知らなくてさ。ここは二割で手を打って――
ミハネ
まっとうに生きろ。
再びの沈黙。少女はあからさまに顔をしかめている。
やはり言うべきことを言っただけなのだが、なぜ、そんな、〝こいつ会話する気あんの?〟とでも言いたげな顔をしているのだろうか。
少女
なんだよ。おせっかい焼きの偽善者かよ。
ケッ、と吐き捨てるように少女は言った。
少女
ほっといてよ。こういうやり方でもなきゃ、あたしは食っていけないの!
ミハネ
働け。
少女
保証してくれる親もいないガキなんて、誰が雇ってくれるもんか!
よしんば雇ってくれたって、二束三文でコキ使われて、病気にでもなったらポイってなもんさ!
ミハネは言葉に詰まった。言うべきことが思いつかないと、何も言わなくなってしまう――というのは、連れ合いによく短所として指摘される癖だった。言うべき言葉が見つからないのに無駄にしゃべっても実がないではないか、と思うのだが。
少女
まっとうに生きてる人間にゃ、あたしらみたいな底辺の苦労なんてわかりゃしないんだ!
あんたらの言う正義やら道徳やらを守ってたら、とっくに死んじまってんだよ!
ミハネ
なら、ばれないようにやれ。見つかれば利き手を斬り落とされる。
それだけ言って、ミハネは少女から身を離した。彼女の言にも一理ある。スリはいけないことだが、それしかないのなら仕方ない。そう思ったのだ。
立ち去ろうとすると、
少女
ちょ、ちょちょちょちょ。
少女が服の裾をつかんできた。
振り返ると、彼女は一転、愛想のいい笑みを浮かべている。
少女
お兄さん、いい人だね。よく見たらめちゃくちゃイケてる顔だし。
いやあ、いい男って、いるところにはいるもんだねー。
早口に言ってから、少女は、つと目を伏せた。
憂えげな表情にふさわしい、意味深な陰影を得るための最適な角度だと、ミハネは知らない。
少女
実は、あたし、弟がいてさ。病気なの。
明後日くらいが山だって。いい薬を買うにはお金が足りなくってさ。だから集めてたの。
銀貨一枚、あとそんだけ手に入れられたら――
ミハネ
使え。
ミハネは懐から取り出した銀貨を三枚、少女に渡した。
銀貨一枚を薬代にあてるとして、あとは姉弟で一枚ずつあれば当座の生活資金にはなるし、その間にいい仕事の口が見つかるかもしれない。そう考えての三枚だった。
少女は目をうるませながらミハネを見上げ、何度も何度も頭を下げた。
少女
ありがとう、お兄さんっ!
あたし、お兄さんのこと、絶対に忘れないっ!
ミハネ
行きずりの身だ。覚えなくていい。
下手に自分のことを覚えていると、厄介ごとに巻き込まれてしまいかねない。
だからミハネはそう言って、そそくさとその場を後にした。
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