コロカ事業
斉吉商店の金のさんま
- 店舗レポート
取材開始
今回、我々を迎えてくれたのは、斉吉商店・代表取締役社長の斉藤純夫さんと専務取締役・斉藤和枝さんでした。
取材対応は和枝さんが担当。さっそく我々はいつものように創業の歴史から遡ってお話をしていただくことに。質問を投げかけると、和枝さんは笑顔で話し始めてくれました。
薪炭業から廻船問屋へ
斉吉商店の創業は昭和16年、もともと食料品の販売と薪炭(しんたん)業という薪や炭を売る仕事を生業にしていたそうです。
「電気や石油が乏しい時代でもあり、地域の主産業である漁業に従事する漁師の船や、地元の中心的な加工業であった鰹節や蒲鉾の製造業者に薪や炭を売っていたのが創業から昭和30年代中ごろまで。電気や石油の需要が高まるにつれ、薪炭業からは遠ざかり、徐々に廻船問屋(かいせんどんや)といわれる仕事に移行していきました」と、和枝さん。
聞いたことはあるがよくは知らない業種・廻船問屋。これについても和枝さんに説明していただきました。
時代背景
戦後、高度経済成長期に入り人口が一気に増え始めた日本。そのため日本の食卓を支える漁業は食糧増産のために水揚げ量をどんどん伸ばしていきました。
大量の魚を取らなければいけないので、船も大型化、乗組員の規模も3~4人から15~20人くらいへと増え、遠洋漁業(200海里水域の内外における大型漁船による漁業)が増えてゆきました。
捕れば捕った分だけお金になった時代。漁師たちはより多くの魚を捕るために、魚の群れに合わせて海を縦横無尽に渡り歩きます。