コロカ事業

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斉吉商店の金のさんま


 

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日本各地の漁師が気仙沼へ

そんな漁業の最盛期に、世界四大(三大とも言われる)漁場の一つでもある三陸沖合からほど近い気仙沼には、日本各地の漁船が集まるようになっていきます。

気仙沼大島を対岸に要する気仙沼魚港は、波が低く、漁船を停滞させるのに丁度良いリアス式海岸の一つで、マグロ魚船などの大型漁船の基地としても機能し始め、水産加工業から造船業まで、あらゆる水産業に対応する日本有数の水産交流地点となっていきます。

高知県、宮崎県、鹿児島県の漁船はカツオの群れを追って北上し気仙沼へ、北海道の漁船はサンマの群れを追って南下し気仙沼へ。といったように気仙沼漁港にはいつも日本各地の漁師が集まっていました。

 

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漁師の世話係

「そんな他県の漁師さんたちのお世話をするのが廻船問屋のお仕事なんです」と、和枝さん。

寝泊りや、食事の世話、そして次の出港のための準備として、船のエンジンや、冷凍機、無線、網などの漁具の手配など、漁業に関するありとあらゆる仕事が揃っていた気仙沼で、船主に代わってそれを各業者に依頼するのが廻船問屋の主な役割だったそうです。

しかし、昭和48年の石油ショックがもたらした燃料の高騰や、昭和60年以降の円高 が及ぼした輸入品増加の影響で昭和後期には日本の漁業が衰退。「一次産業は後進国がやること」という日本全体の風潮も相まって、日本は漁業から離れていってしまいます。

 

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「金のさんま」は三陸の郷土料理

斉吉商店もこの時代の煽りを受け、平成元年ころから加工業を開始。もともと三陸沿岸の地域に根付いていた郷土料理「さんまの佃煮」を商品化させ、仕事の割合も廻船問屋から徐々に加 工業へと移行させていきます。和枝さんはこのころから斉吉商店で働くようになったそうです。

「もともと冷凍技術のない時代に、保存の方法として佃煮にしていたのが『金のさんま』の始まりです。商品化といっても最初は本当に家庭で作ったような、ゴタゴタした佃煮を作っていたんです。骨まで軟らかく炊こうと思うと、皮が剝がれて見た目がもうゴタゴタの状態で(笑)」

「味は良いんですが、商品化するのであれば見た目も良くなければだめですよね。なので、それを徐々に改良して、皮が剝がれていないキレイな状態にしたのが今の『金のさんま』。名前を付けたのは、だいたい12年くらい前ですね」

と、「金のさんま」開発の経緯を和枝さんは楽しそうに話してくれました。

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