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帝国軍憲兵隊は、警戒網を帝都全域に広げていた。
憲兵隊の隊長は、帝国でも有数の嗅覚をもつ、象種の獣人である。
彼はその鼻を高く掲げ、帝都の匂いを嗅いだ。彼の部下である狼種、ジャッカル種の獣人たちは、隊長の命令一下、帝都を文字通り嗅ぎ回っている。
象種は巨体であるため、捜索には向かないのだ。空を見渡せば、鳥類種の獣人たちが空を飛び回り警戒を続けている。
獣人たちのすさまじい感覚は、下手な魔法やルーン工学による技術をも上回る。
基地より機密を持ち出した犯人が、逃げおおせるのは容易なことではない。
だが――「見つからないだと……?」
帝都――『全ての道が交わる広場』。文字通り帝都の大通りが一点にあつまる場所。
そこで憲兵隊隊長は、鼻を振り上げて、唸った。
もとより現場に残された匂いから、確定的な情報は得られていない。
よって獣人たちは、機密情報ファイルそれぞれに施された微量な匂いを辿っていた。
しかし、それでも見つからない。魔法による隠蔽を行っているようであった。「魔道士たちはなんといっている」
隊長は半獣の男に呼びかけた。今回の件で駆り出された軍所属の魔道士である。
年若いこの男は、調査にあたる魔道士と現場の橋渡し役となっていた。
無論、隊長は魔法による捜査という手法を快く思っていない。
しかし今は、藁をもすがる心地であった。奪われた情報の詳細は不明だが、これほどの騒ぎになるからには、重要な情報に違いない。
恐らくは――決して表に出てはならぬ種類のそれであろう。「今のところ、何の痕跡も見つかっていません――隊長殿、侵入者は本当に存在していたのでしょうか?」
「なんだと?」
意外な発言であった。隊長はこの魔道士が、私見を差し込むようなタイプとは思っていなかったのである。
「基地が不祥事を隠すために、侵入者を捏造したのでは……? もしくは上層部にとって、どうしても消したい情報があったとか」
「――だとしても我々は、侵入者を追うのが役目だ」
「現場のセキュリティは完璧でした。あらゆる魔法や魔術は封じられる。侵入者を発見するはずのルーンも反応しなかった」
「そうだ――」
隊長は皮肉を口にしかけたが止めた。現場の魔道士がいうことなど決まっている。
魔術や魔法などあてにはならない。だが、己の鼻は信じられる。「――だったら答えはただ一つ。ファイルが盗まれたのは警報が鳴った後だ」
突然、若い魔道士の口調は変わった。
声の質は変わらないくせに、別人が乗り移ったかのようである。しかし隊長には、そのことに注意をむける余裕はなかった。「警報が……鳴った、後……?」
「機密区画に向かった警備兵の中に、犯人がいる」
「……だったら、ファイルの匂いが辿れるはずだ」
「ファイルは基地内で処分した。持ち出していない」
「なんだと……!?」
「侵入者の目的はファイルを消すことにあったのさ」
隊長は、長い鼻をたれて、呆然とする。
それと同時に、半獣の男のあまりに断定的な口調に、どこか思考が麻痺していくのを感じた。美しい黒髪に、青い瞳――
まるで全てを見透かすような――「――警備兵を尋問する」
ようやく、それだけを口にした。
「無駄だと思うがね」
半獣の魔道士は、去っていった。
数十分後、隊長はこの半獣の魔道士と再会する。魔道士たちの調査の経過報告を行った男に対し、隊長は事件の所見を尋ねた。
しかし魔道士は、首をかしげるばかりであった。先ほどとはまるで別人である。まるで、人が変わったように――
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