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がぁんっ、と硬く重たい音がして、家の中の空気がびりびりと震えた。
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イルーシャ
もう、ファルクったら。段取りを無視しないの。
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あきれたように告げるイルーシャ――その細い指先が、小さな銃を握っている。
弟の頭上に降り落ちた紅の刃を、抜き打ちの銃撃で打ち弾いたのだと、ジースは遅れて悟った。 -
ファルク
こっちのが早いでしょ、姉ちゃん。
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ファルクは鼻を鳴らし、地面に置いていた鎌をつかんだ。
鎌の刀身が、がばり、と口のごとく開く。そこへ、少年は一枚の符を放り込んだ。 -
ファルク
ライズ――〈魔界懲罰師〉!
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叫び、ぶんと天井へ鎌を振るう。
鎌の刀身から黒い帯のようなものが伸びて、雨垂れをこぼす天井の穴へ滑り込んだ。 -
ファルク
捕まえた!
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ファルクは、ぐいと鎌を引いた。
すると穴から、何か粘ついた、赤黒い肉塊が、ずるりと引きずり出された。
暖炉の火を受け、ぬらぬらと妖しい光沢を帯びたそれは、細長く、同時にやわらかそうな質感で、どくんどくんと脈打っている。内臓を、ジースは連想せずにはいられなかった――まるで家そのものが生きていて、その内臓を抜き出されたかのようだと。
肉塊が、身を震わせて吼えた。鼓膜を引き裂かんばかりの金属的な咆哮。
だが、実際に引き裂けたのは、その肉塊の方だった。
血の噴水を撒き散らし、花咲くように裂けていく。
その裂け目から、頭が生えた 。
べったりと赤い血にまみれた長い髪。黒目がちな眼、細い鼻梁、てらてらと輝く唇――
瞠目したまま腰を抜かしていたジースの瞳に、その風貌は避けようもなく映り込んでくる。 -
ジース
ライカ……!
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震える唇からこぼれたのは、死んだはずの妻の名だった。
肉塊から現れた顔が、ぐるりと振り返った――こちらを。真後ろを 。
妻の顔には首がなかった。どくどくと脈打つ、巨大な蛭のような胴体が、妻の頭を支えるすべてだった。 -
イルーシャ
ライズ――〈黒影の機械魔獣〉!
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イルーシャが、大筒に符を放り込んで構えた。
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イルーシャ
〝ブレインシェイカー〟!
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筒から、毒々しい色合いの魔力の矢が放たれる。
それは横合いから一直線に妻の顔へと突き刺さり、ぐしゃりと粉砕してのけた。
妻の顔をしていた怪物が四散し、その血と肉片が地面に散らばるさまを、ジースは声もなく見つめることしかできなかった。 -
ファルク
だめだ。本体じゃない。
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凄惨な光景にも動じず、ファルクが眉をひそめた。
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ファルク
分身か。手の込んだことしやがる。
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イルーシャ
進化を遂げている、ということかしらね。より効率的に〝栄養〟を補給するため、新たな能力を獲得した。
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ファルク
それができるってこと自体、すでにけっこうな〝栄養〟を摂取してる証だ。
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ジース
な――なんなんだッ!
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とうとうたまらなくなって、ジースは叫んだ。
振り返るふたりに、怒鳴るような悲鳴を浴びせる。 -
ジース
き、君たちはなんなんだ! なにを突然――こんな――わけのわからないことを――
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ファルク
わけのわからないことなんかじゃない。あんたは単に、忘れてるだけですよ。
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ジース
忘れている――? 俺が? いったい何を――
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ファルクは、めんどうそうに、ひらひらと手を振る。
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ファルク
死んだ奥さんをよみがえらせたくて、旅の魔道士にすがった。〝すべてを忘れさせる〟禁具の力で、奥さんに
死んだことを忘れさせる ために。 -
ジース
な――
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イルーシャ
死んだということを忘れた奥さんは、起き上がり、村人を襲い始めた。彼らが誰であるかも、自分が誰であるかも、人を殺してはいけない、人を食べてはいけないということさえ忘れてしまっていたから、その凶行が止まるはずもなかった。
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ファルク
やがて、村人は全滅した。あんたを除いて。
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ジース
ば――馬鹿を言うな! みんなが死んだなんて――そんなわけがない! 現に、今日の昼だって、俺はみんなと農作業を……
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ファルク
その〝今日〟って、いつのことです?
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冷然と鼻を鳴らして、ファルクがきびすを返し、入口へ向かった。
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ファルク
言ったでしょ。あんたは忘れてるだけだって。禁具を使った影響ですよ。
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キィ、と扉が開かれた。夜を濡らす雨の音が、やかましく耳を撃つ。
連日続く長雨 ――農作業などできるはずもないほどの。 -
ファルク
あんたは村が滅んだことも、奥さんが死んで怪物になったことも全部忘れて、旅人を泊め続けていたんですよ――それを奥さんが喰い続けていた。あんた、善意のつもりで、殺しの片棒を担いでいたんです。
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ジースは、茫然と天井を見上げた。
最近増えた雨漏りは、どれも赤い色をしていた。