コロカ事業

  1. 九州・沖縄地方一覧

鹿児島県奄美市「仁左エ門工房」を訪問する

 

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鹿児島県の離島・奄美大島

鹿児島空港から飛行機で55分。
本州4島・沖縄・北方領土を除くと、佐渡島の次に大きな島である奄美(あまみ)大島に到着です。
奄美空港から、名瀬(なせ)行きバスに乗り、青い海と南国の植物の中を50分ほど揺られていると今回の目的地、仁左エ門(にざえもん)工房最寄りのバス停、鳩浜(はとはま)団地前に到着です。
バス停から徒歩3分ほどで、オレンジ色の工房が見えてきます。そして、工房横には今回の目的地である仁左エ門工房・迎賓館があり、三代目・原仁エ衛門、原正仁さんにお出迎えいただきました。

 

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奄美の特産品・大島紬

奄美大島で、古くから作られてきた大島紬(つむぎ)は、一説には1300年程前、奄美大島が遣隋使・遣唐使の寄港地として使われていた時代に、インドネシアなどの南方から伝来したそうです。
また、大島紬の特徴でもある泥染めは、絹の着用禁止令を受けて、花嫁衣装に持って行きたい一心で田んぼに埋めて隠したところ、土中の鉄分と反応し、見事に染め上がったのが起源と言われています。

 

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普段着から特産品へ

普段着として家々で作られていた大島紬は、太平洋戦争後の高度経済成長と共に、その精緻な技術によって作られた反物が奄美大島の一大産業として業界全体が成長してゆきました。
最盛期には協同組合へ参加する企業が1300軒を超えるほどの規模を誇った大島紬は、当時としては珍しく大量生産による粗製濫造を防止する仕組みとして、組合による20項目以上に及んだ厳しい検査基準を設けていました。
しかし、大量生産・大量消費に突き進む時代の中、厳しい検査基準が足枷となり、製造コストが増え、需要に対して十分な供給が出来ず、結果として需要が減るという悪循環。さらには、卸問屋自身が様々な商品を扱うようになり、大島紬の価値は低下していきました。

 

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基準を守ると言うこと

さらに受難の時代は続きます。人件費の高騰から、当時人件費が安かった韓国へ技術を伝え、海外でも生産が行われ始めました。
この技術流出を危惧した原さんは、当時の松下電器社長・松下幸之助氏に直接電話をし、同じように技術流出に直面する企業としてアドバイスを仰いだそうです。
残念ながら、直接の電話はかないませんでしたが、秘書の方を経由してしっかりと伝言をいただいたそうです。
・マージンを抜く商売は、長期的な視点では儲からない
・品質を高めて、今後に備える
この点において、愚直なまでに厳しい検査基準を徹底していた大島紬は、価格よりも品質に価値を見いだす消費者が少しずつ増えてきた現代にこそ、その真価を発揮するのではないでしょうか。

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