コロカ事業

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鹿児島県奄美市「仁左エ門工房」を訪問する


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原絹織物の成立ち

原絹織物は、現在の正仁さんで三代目、おおよそ100年の歴史があります。当初は他の大島紬生産者同様、自給自足の生活の中で、自分達で着る着衣を作るために、養蚕から行っていたそうです。
当時はほとんどの家で織られており、どの家がどの程度の技術を持っているかというランクが自然とあったそうです。
そんな中で、高度経済成長で急拡大する市場で生き残るべく、家族経営から企業として明確に数字を把握するために、会社組織にしたとのこと。「時代と呼吸を合わせながら生きることが重要なんです。」と、正仁さんは仰います。

 

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時代との呼吸

「時代との呼吸を合わせる」この言葉は、正仁さんの幼少の頃の思いがそう発言させているのかもしれません。
太平洋戦争後、奄美大島はGHQの統治下に置かれ、昭和28年までのおよそ8年間、日本ではない日本となっていました。当時、小学校低学年だった正仁さんは、非常に苦しかった日々を今でも覚えていました。
その後、少年期から青年期にかけて、大島紬への思いが大きくなり、時代の動きに合わせて、単純な生産者として問屋に卸すだけではなく、いち早く生産者として直接お客様に触れる方向に切り替える。
これが「時代との呼吸を合わせる」ことなのだと、お話を伺いながら実感しました。

 

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四代目の思い

正仁さんのご子息・成仁さんも大島紬の職人として修行のまっただ中です。
アパレル系販売員の経験を生かして、一歩離れたところから大島紬を見ることで、それまでは近すぎてわからなかった、重要性を初めて感じたそうです。
屈託ない笑顔で話を続ける成仁さんですが、時折真顔でこれからの大島紬に対する思いを語る表情は真剣そのものです。
「一つの工程が欠けるだけでも、大島紬は作れなくなってしまう。僕自身も染色・加工を中心に修行の最中です。」
現在、10名ほどいる同年代の職人は、様々な工程の修行をしていますしかし、織りと同様に才能が必要と言われる、締機の職人はまだまだ少ないそうです。
それでも、奄美の特産品・大島紬を残すために、若手の皆さんたちは必死で修行をされており、先代からの思いは、脈々と受け継がれているのでした。

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