コロカ事業
丹波篠山 小田垣商店の黒豆
- 店舗レポート
「丹波の黒豆」の原点を探る
「丹波の黒豆」。今回の旅は、この言葉のルーツを探し求める旅となります。目指すは、兵庫県篠山市(ささやまし)にある、「株式会社小田垣商店」です。
東京から新幹線でJR新大阪駅へ。隣の大阪駅まで移動したら、福知山線快速「篠山口行」に乗車してください。この電車の終点が今回のコロカ店・小田垣商店の最寄り駅です。
大阪から約1時間、車窓の田園風景が突然パッと開け、住宅街に入ったら、JR篠山口駅に到着です。駅前で停車中の神姫グリーンバス「篠山営業所」行きに乗り込みます。
コロカ店は国の有形文化財
バスはやがて、一帯が城下町だった頃の古いたたずまいを残す、町並みへと入ります。
「篠山呉服町」、「城北口」と往時をしのばせる名前の停留所を過ぎ、次の「上立町(かみたつまち)」または「本篠山(ほんささやま)」で降ります。上立町からは、バスの進行方向に向かって約150m直進すると、道路の左側に小田垣商店が見えてくるはずです。「本篠山」で降りた場合は、逆に約150m戻ることになります。
小田垣商店では、江戸時代後期に造られた町家を今も店舗として使用しており、店舗や隣接する事務所棟は現在、国の有形文化財にも登録されています。同店がまだ、金物商を営んでいた頃から残されている歴史的建造物なのです。
人々が築きあげたブランド
金物商だった小田垣商店が、なぜ黒大豆を販売することとなったのでしょうか。
話は明治元年(1868年)にさかのぼります。当時の店主は、一部の地元農家が少しでも土地を有効に使うため田んぼと田んぼのあいだのあぜ道で育てていた畔豆(あぜまめ)としての黒大豆に注目。お節料理などでよく知られていた黒大豆の美味しさをさらに広めようと、黒大豆を始め、植物の種や苗を扱う種苗店に転業したのです。
以後、小田垣商店は農家に黒大豆を栽培するよう働きかけていきます。昭和40年代までは国が稲作を奨励していたこともあり、黒大豆の栽培に消極的な農家もありましたが、同店が中心となって地道な活動を続けた結果、ブランドとして確立するに至ります。
つまり、「丹波」=「黒(大)豆」のイメージは、小田垣商店をはじめとする丹波の人びとの努力によって、長い年月をかけて作られたものなのです。