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長崎・一まる香の茂木ビワゼリー


 

 

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伝統から次の一手へ

一口香を機に二代目・伝二郎氏は菓子製造専業へと業態を変え、三代目・四代目とより評判をまして行ったのだそうです。

六代目・巍さんは思いがけない形で、茂木一まる香本家を継ぐこととなりました。

父である5代目・榎正孝氏の戦死により、6代目が学校卒業と同時に4代目である祖父の榎伝一郎氏から、6代目として技術を直接伝授されることとなったのです。

一口香もまたシュガーロードを通り各地へ伝搬し、長崎・佐賀のお菓子として知られるようになりました。

類似商品が増えたことから、6代目の巍さんは「一○香(いちまるこう)」と商品名を変えて差別化をはかり、屋号も「茂木一まる香本家」としたそうです。

一方、一○香はデパートの物産展などで好評を博していたものの、巍さんその伝統の味だけに満足せず、菓子製造業として研究を続ける姿勢をとり続けています。

苦難の末考えついたのが、地元・茂木特産のビワを使ったお菓子でした。

ビワもまた、中国から茂木へ江戸時代に入ってきたのです。

地元特産の茂木種と呼ばれる茂木発祥のビワにこだわったお菓子作りのチャレンジは苦難の日々となりました。

どのようなお菓子が良いのか、物産展に出店しながら様々な研究をし、たどり着いたのが「茂木ビワゼリー」です。

 

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美味しい物を追求して

1965年(昭和40年)に出来上がった茂木ビワゼリーは、日持ちの問題など様々な課題を乗り越えて、その商品性から人気に火がつき、デパートの物産展で一気にブレイクしたそうです。

大手のデパートへ山積みのダンボールで出荷するなど一時期は相当数を出荷していたそうです。

順風満帆に思われた茂木ビワゼリーですが、激甚災害に指定された平成18年の台風13号による塩害で、ビワが例年の1割程度しか収穫できないという自体が発生しました。

国内産の茂木種にこだわりを持って作っていた茂木ビワゼリーは、生産をほとんどすることができなくなりました。

海外産を仕入れてびわゼリーを生産してみたものの評判は悪く、翌年には少量でも国産茂木種ビワでの生産にこだわり生産することとしました。

そのこだわりは、製造工程にもしっかりと反映されていました。

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