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山口県萩市「泉流山」を訪ねる

 

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長州藩の中心地・萩

新山口駅よりバスに揺られること約70分、今回の目的地・泉流山(せんりゅうざん)の最寄り駅、東萩駅に到着です。
萩市は関ヶ原の合戦で西軍の総大将・毛利氏が敗戦後に領有した土地で、居城・萩城を中心に長州藩として明治維新で大きな役割を遂げた土地です。
東萩駅から、100円で乗り放題の萩市内を循環するコミュニティバス・まぁーるバスに乗り「吉賀大眉(よしかたいび)記念館前」で下車すると、泉流山の看板が目の前に。
まずは、現当主の吉賀將夫(はたお)さんに、萩焼の歴史をお伺いしました。

 

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茶器としての萩焼

「一楽・二萩・三唐津」と茶人が好む茶器と古くから言われるように、萩焼の成立ちは茶道と切っても切れない関係にあります。
戦国時代、「わび茶」の世界観を確立した千利休により朝鮮製の器「高麗茶碗(こうらいちゃわん)」等が珍重され、それを見本とし様々な茶器が日本でも作られました。
萩焼が誕生した要因のひとつに、「やきもの戦争」とも言われた文禄・慶長の役にて、当時の朝鮮半島を統治していた李氏朝鮮と、中国を統治していた明との戦争があります。わび茶の興隆により、国一国程の価値を持つといわれる茶器が存在するほど珍重されていた茶器を、自分たちで作るために、参戦した日本の大名は、陶工を朝鮮より連れてきました。
毛利氏も同様に朝鮮より陶工を連れ帰りました。数年後・関ヶ原の戦いに敗れ、居城を広島城から、萩城に移り、長州藩として御用窯を設立したのが萩焼の始まりです。

 

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古萩の世界と御用窯

長州藩御用窯として、朝鮮の陶工・李勺光(りしゃっこう)と李敬(りけい)兄弟が萩の地で茶器作りを始めたのが萩焼のはじまりです。
ご用窯として設立されたため、一般には出回らず、藩の献上品として活用されていました。
その後、李勺光の系譜は深川という地で創窯したため深川焼、李敬の系譜は松本で創窯し松本焼とよばれ、松本焼窯元・坂高麗左衛門(さかこうらいざえもん)として現代まで名前が受け継がれています。

特に三代目・坂高麗左衛門までの時期を古萩とよび、萩焼の黄金期とされています。
その後、御用窯も三輪窯・佐伯窯と増え、三輪窯は坂高麗左右衛門と並び萩焼の名跡となりました。

 

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磁器窯(小畑窯)

文政年間には藩の指導のもと、財政的収入源として、泉流山のある小畑地域で生活雑器として磁器・小畑焼が始まりました。文政9年創窯の泉流山は、7つ作られた磁器窯の一つなのでした。

 

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