コロカ事業
堺・八百源来弘堂の肉桂餅
- 店舗レポート
茶室のような店内
この店はなるべくこのまま保ってほしいという先代の願いを聞き入れて、一切改装していない店内は、茶室をイメージしてつくられたのだとか。試食ができるカウンターもあり、若いお客さんなどここで肉桂餅を味わう方もいます。
やはり堺のお土産として買われる方が多いそうで、私たちが訪れた日は、連休前だったこともあり、お客さんが途切れることなく訪れていました。
肉桂餅以外にも、八百源では、季節ごとに新しい商品を展開しています。カステラや水羊羹も人気で、最近では「利休茶壷」(冬期限定商品)というお汁粉も販売しています。こうした新しい商品は、岡田さん自らがプロデュースします。
堺の歴史を菓子にのせて
堺の歴史をわかっている者だからこそできる商品がある、と話します。
「肉桂餅は伝統のつくりかたや味を守っていますが、時代に合った新しいものもつくっていかないとなりません。その時、堺の伝統をわかっていないと、イメージに合ったものを企画できないんです。ルソンの壺の話を知らなければ、「利休茶壷」も生まれなかったでしょうし。」
「ルソン壺」とは、豊臣秀吉の時代に、ある商人がルソンより仕入れた茶壺を、千利休が目利きして秀吉に献上したもの。秀吉からたいへんな評価を受けて、大名たちがこぞって手にいれようとしたと言われる有名な壺なのです。これをアレンジして、「利休茶壷」と名付けました。
こんな風に、堺の伝統を、和菓子の形で提案していくこと。伝統菓子を守る一方で、長い歴史をもつ老舗ならではの挑戦が続けられています。
由緒あるお寺も
昔の堺の地図を見るとわかるように、町の大枠は今も昔の形をとどめています。阪神高速15号堺線が走っているところはかつて川が流れていた川筋でした。この川沿いにずらっと並んでいるのがお寺です。この辺りは、裕福な堺商人の集まった町であると同時に、お寺の多い寺町でもありました。
今も、八百源のすぐ裏手にある「妙国寺」をはじめ、大小さまざまなお寺が残っています。「妙国寺」は本能寺の変の際、堺を訪れていた徳川家康が宿泊していた場所で、危険を察知してここから逃れたという言い伝えがあります。また、境内の大蘇鉄(そてつ)は織田信長が一度は安土城に移植させたという樹齢1100年余の天然記念物。歴史上の人物とのゆかりの深いお寺も多いのです。この辺りを散策してみると、狭い路地があちこちに残っており、かつての堺の街の雰囲気を味わうことができるでしょう。堺港に落ちる夕陽も綺麗です。