コロカ事業

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堺・八百源来弘堂の肉桂餅


 

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なぜ肉桂だったか?

海外から入る香辛料のなかでも「肉桂」(シナモン)は、香りがよく貴重なものでしたが、辛みと苦みが妨げとなって女性や子供に好まれませんでした。そこで宗源が思い付いたのが、肉桂をお餅に混ぜ合わせることです。肉桂を加えたことで香りも味もよい餅になりました。また、当時の肉桂餅にはこんな意外な側面も。

「肉桂は血の巡りをよくするものとして、薬の効用もあると考えられていました。なので、当時はこの肉桂餅もくすり菓子として出していたんです。」

この界隈には、薬種商も多かったのだとか。薬といっても、病気を治す薬だけでなく、鉄砲に使う火薬の元となる材料なども多く取り扱われていました。

 

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千利休の生誕地、堺

また、忘れてはならないのが、堺が茶道千家流の始祖、千利休の生誕地でもあることです。信長、秀吉という2人の天下人に仕え、茶の道を確立した利休。当時の堺は貿易で栄える国際都市であり、京に匹敵する文化の発信地でもありました。千利休もそうであったように、多くの堺商人は優れた文化人だったのです。

今もお茶会などに「八百源」の菓子が使われる際、千利休の生まれた土地のお菓子ということで喜ばれることも珍しくありません。

大阪夏の陣・冬の陣で主戦場となった堺は一時期荒れて、港の役割を大阪に引き継ぐことになりますが、江戸時代以降も商人文化は発展します。そのような中で生まれたのが、この肉桂餅。くすり菓子として受け継がれてきた餅を、新しい味の和菓子に生まれ変わらせたのが「八百源」の初代当主でした。

 

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とろけるような求肥と餡で

今も当時と変わらない製法は、柔らかい求肥に肉桂を混ぜて練りあげ、小豆の餡を包むというもの。肉桂の香りが香ばしく、口のなかでとろけるような食感が人気を呼び、堺の銘菓として広まりました。

なんと言っても、餅の柔らかさが特徴。周囲にじゃがいものでんぷんがまぶしてあるお陰で、肉桂の香りがきつすぎず、程よくふんわりと香ります。

時代とともに使う道具は変わりますが、基本的なつくり方は変わっていないそう。岡田さん自身、この伝統の製法を先代から習得して今の店を引き継ぎました。

また、「八百源」で何よりこだわっているのが、原料の肉桂です。幼い頃から本物の肉桂の香りを覚えるようにと父や祖父から言われて育ったという岡田さん。今も、香りのよい東南アジアの肉桂を使用しています。

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