コロカ事業
上田・飯島商店のみすゞ飴
- 店舗レポート
懐かしのお菓子「みすゞ飴」
昔懐かしいお茶菓子「みすゞ飴」。もちっとした独特の食感、優しい甘さに果物の芳醇な香り。昔からファンだという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
今回は、みすゞ飴の製造元・飯島商店を目指し、東京駅から長野新幹線に乗り込みました。出発して1時間半、左手に日本最長の川・千曲川の流れが見え、上田駅に到着するとお店までは駅から徒歩3分ほどです。
駅前にはこの地を語るに欠かせない真田幸村の騎馬像が勇ましく構えています。夜になると駅の壁面に間接照明によって真田氏の家紋「六文銭」が浮かび上がり幻想的です。
飯島商店の店舗棟は、大正13年(1924年)に建てられた大正ロマンの雰囲気そのままで、石造りのように見える外観の美しさに息をのみます。飯島商店では店舗棟以外にも繭蔵として使われていた倉庫を事務・作業棟として使用しており、どちらも国の有形登録文化財にも指定されています。
雨の降る晩夏、我々を迎えてくださったのは、副社長の飯島新一郎さんです。今日は、みすず飴の材料の一つでもある「桃」畑まで案内していただきます。
礎を築いた2つのできごと
飯島商店の前身は江戸末期のころから営まれていた米屋です。後に飯島商店の初代社長となる新三郎氏は、「これからは鉄道の時代だ」という思いで、信越線(現在のしなの鉄道)の開業に合わせて上田駅前に拠点を移すのですが、これが飯島商店へと大きく発展する要因の一つとなりました。
東京からの便の良さもあってか、やがて東京で起きた洪水によって水に浸かってしまった大量の米の処理を持ちかけられました。新三郎氏は水飴にして販売することを思いつくと、大吟醸酒のように大胆に材料を削り、高品質の水飴を製造したのです。あまりの質の良さに、水飴は森永製菓のミルクキャラメルの原材料として使われることになりました。
森永製菓に引っ張られるようにして飯島商店も急成長。飯島商店は新三郎氏によって会社へと転換されました。
会社化して10年ほど、明治の末に新三郎氏によって考案されたのが代表商品となるみすゞ飴です。まだ甘味が重宝されていた時代、みすゞ飴は大評判になり、全国で知られるようになりました。
みすゞ飴の原点とは!?
さて、水飴と寒天、果物の果汁というシンプルな素材で作られるみすゞ飴はどのようにして生まれたのでしょうか?
「発想のきっかけは翁飴などではないでしょうか。」
翁飴は水飴に寒天を加えてゼリー状にして四角く固めたもので、秋田県などで作られています。その歴史をたどると新潟県の粟飴と呼ばれる水飴に行きつきます。
「上田駅前という地に移転したことで、新潟や東京との流通が増えたことも発想を助けることになったのかもしれませんね。」と、飯島さん。
さて、みすゞ飴の「みすゞ」は、信濃の国を表す枕詞からきています。飯島商店では、その名に寄せて、長野をはじめ国内の豊かな自然の魅力を商品に込めています。