コロカ事業
二葉苑の江戸小紋と江戸更紗
- 店舗レポート
きれいな水を求めて
それにしても、なぜこの場所で染色が始まったのでしょうか?
もともと江戸時代は、神田の辺りを中心に染めの職人さんがたくさんいて、染色が行われていました。
それが、江戸にはどんどん人が増えて神田川にも下流には汚れが目立つようになってきたのだとか。染めの作業で、糊を落とすために欠かせないのが川の流れです。染めの職人たちはきれいな水を求めて神田川の川上へと移動し、ここ新宿の中井・落合界隈にやってきたのです。
「その頃は、同じ神田川でも、今のように深く掘り下げてある川ではなくて、小川のせせらぎのような地面と同じ高さを流れる川だったんです。今想像すると、とてものどかな風景ですよね。川上の工房がうっかり反物を流してしまうと、川下の工房がまとめて洗って届けてくれて、お礼に一升瓶のお酒を渡すなんていう慣習もあったようです。」
伊勢型紙をつかった型染め
二葉苑が得意とするのは、型紙を使った手染めです。型紙のほとんどは、伊勢型紙と呼ばれる、伊勢の職人によって手で掘られたもの。今も二葉苑には、2000枚を超えるこの型紙があるのだそうです。
型染めでもっともポピュラーなのが、江戸小紋です。江戸時代、武家であっても贅沢を禁止され、着物に使われる布や色の種類が限定されました。とりわけ庶民には、派手な色の着物は禁止され、茶色やねずみ色の木綿、麻だけが許されたのだとか。ところがこのことが逆に、限られた色のなかで少しでもお洒落を追求しようとした、江戸の職人たちの腕の見せ所となっていきます。
江戸小紋は、遠目に見ると茶色やねずみ色の無地の生地にしか見えませんが、近くで見るとその華やかな柄がわかるという、まさに江戸の人々の粋なお洒落の工夫だったのです。
江戸小紋の糊防染手法
型紙をつかった型染めの基本は、糊で色が入らない部分をふさぐ、糊防染といわれる手法です。
白地の布に型紙を置いて、米糠を主とする防染用の糊を、型紙の上から鹿の毛のハケで塗っていきます。糊を塗ったところが、後の工程で色が染まらない部分になります。型紙は左右数十センチくらいなので、柄のつなぎ目はとくに慎重に。また、力加減にムラがないように、均一に糊を載せるのが難しいところです。
柄となる部分に糊を塗り終わると、次に地色を染めます。染料を大きなへらで全体に塗ります。地色を染め終わると、水洗いをして糊を落とします。昔は川で洗っていましたが、今は室内の水槽を使います。
地色が染まり、糊の部分が染まらずに白く残って小紋の柄が出来上がります。大きくいうと、こうした型堀り、染め付け、洗い、蒸しの工程で製作されます。この方法を応用して、型紙の上から直接色を指していくものもあります。