コロカ事業

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山形・東根の六田麸


 

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冬季の保存食

伝来当時、文化の中心地である京都にいち早く根付いたお麸は、その後岐阜、愛知、静岡、江戸を通り、陸路のみを利用して東北の地へと伝えられました。

そして、広い山形において、六田という限定された地域でお麸が根付いたのには、六田にあった小麦と水、そして気候風土が関係していました。

もともと六田の産業の主は葉タバコでしたが、葉タバコは夏で収穫を終えるため、それ以外の期間を利用して小麦を栽培していたのだそうです。

また、もう一つの産業の要であった紅花は連作障害を起こしてしまうので、収穫後には必ず小麦が植えられていたのだといいます。

六田の小麦はお麸作りに最適なグルテンを多く含む性質の小麦で、加えてその地には綺麗な水がある。さらに雪の多い東北ということもあり、魚が乏しい内陸部の六田では冬季の保存食として焼き麸が定着したのだそうです。

 

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文四郎麸の歩み

文四郎麸の創業は1860年。六田で最初のお麸製造会社として文四郎麸は誕生しました。

「六田ではほとんどの人が農業をしていましたが、次第にお麸の商売に魅力を感じ、転身する人が出てきたのではないでしょうか?」と、幸信さん。

その後、文四郎麸は地域の人に麸作りを教え、次第に六田がお麸の町になっていったのだそうです。

そして、もともとは製造だけを行っていた文四郎麸ですが、昭和50年ころから小売も開始。お麸の消費減少に伴い、お麸料理を通してお麸の美味しさを知ってもらおうと、お麸の料理教室も全国各地で開催するようになりました。

お麸の料理教室を通して、これまで2万人の受講生に数々のお麸料理を教えてきた文四郎麸。人に教えるには教えられるだけの豊富なレシピが必要でした。

そうして、料理を教えるため様々なレシピを開発していくうちに、お麸の懐石料理が構想されたのでした。

 

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様々な料理と合わせて楽しむ

文四郎麸の敷地奥には、その料理教室がきっかけとなって出来た料理処「清居(せいご)」があります。

今では予約が絶えない東根観光の人気ランチスポット。早めの予約が必要ですが、お麸料理の素晴らしさを体感できる日本でも数少ない料理処です。

「是非お買い物だけでなく、お食事も楽しんでいっていただきたい」と、幸信さん。

「江戸時代からの麸作りの歴史。そして焼き麸は六田の食品ということを認知していただくと共に、これからは若い層にもお麸料理を伝えていきたい」と、コロカ店としての意気込みも語ってくれました。

様々な料理に相性抜群のお麸。万能品として各家庭の台所に常に存在するものになれるよう、文四郎麸は今後も全国にお麸の料理を発信していくそうです。

 

 

※現在、清居でのお食事は【コロカ対象外】となります。コロカ専用メニュー考案が完了次第のご案内となりますので、ご了承ください。

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