コロカ事業
松下蒲鉾店の天草かまぼこ
- 店舗レポート
もともとは鮮魚屋さん
大正14年、晶一さんの祖父・猛(たけし)さんが鮮魚屋さんとして創業したのが「松下かまぼこ店」の始まりです。
もともと鮮魚の販売と兼業で練り物も販売していたそうなのですが、昭和45年頃から練り物の需要が一気に増え始め、流れるように練り物専門店へと移行していきました。
その後、晶一さんの父・博さんの代を経て、平成元年頃より製造を任され始めた晶一さんと、ご婦人の美奈子さんが今の「松下かまぼこ店」の代名詞である「天草かまぼこ」を作り上げたのだと言います。
知識と技術を身につける
2代目の博さんは、もとは数学の教師をされていたそうです。しかし、急遽店を継ぐこととなり、何の準備もなく蒲鉾屋になったために大変苦労をされたそうです。
その後20数年の間、「松下かまぼこ店」の経営をしてきた博さん。後継ぎには同じ苦労はさせまいと、晶一さんには蒲鉾の勉強をしっかりと出来る環境づくりに協力を惜しみませんでした。
晶一さんは蒲鉾の文化が根付く高知で修行したり、大学で練り物の研究をしている教授の下で科学の面からも蒲鉾を学んだり、博さんの思いを受け熱心に勉強したそうです。
天草の魚を使って
高知から戻った晶一さんは同郷の美奈子さんと結婚し、二人三脚で新しい「松下かまぼこ店」を築きます。
蒲鉾作りに最も適した材料はエソと言う白身魚だと晶一さんは言います。
修行時代から、蒲鉾はエソで作るものが最も美味しいと教わってきた晶一さんですが、修行中は高知の人から「天草のエソではええ蒲鉾はできんちゃ。」と散々言われてきたことが頭から離れず、なかなか天草のエソに目を向けられなかったのだそうです。
しかし、自分の代になってなんとか天草の魚を使って蒲鉾を作りたいと考えていた晶一さんは、漁協をまわり様々な魚を検証し、天草のエソにも目を向けることにしました。