コロカ事業
沖縄・本部町のアセローラ
- 店舗レポート
レモンの30~40倍のビタミンC
1980年代のアメリカでは、美容と健康の観点からビタミンCが一大ブームとなっていました。
在学中の康文さんはそんな事情を知り、「アメリカで流行ることは、その後確実に日本にも流れてくるだろう」と、先見の明をもってビタミンCに着目し始めます。
そして、康文さんがビタミンCを多く含む作物について調べ始めたところ、戦後にハワイから沖縄に導入された熱帯果樹・アセローラに出会ったのでした。
アセローラはビタミンC含有量がレモンの30~40倍。そんなビタミンCの王様のような作物が沖縄にあることに気付いた康文さんは、すぐさまアセローラの研究に入りました。
その後、大学を卒業し一旦は本土の企業に就職した康文さんですが、1989年、故郷である本部町に戻り、町内でアセローラの栽培を提唱します。
しかし、可能性はあっても保証はない、加えて補助金も出ない。そんなアセローラの栽培にやる気を見せた生産者はわずか8人ほどでした。
アセローラフレッシュ設立
なかなか実を付けてくれなかったアセローラの木に対して、木の幹を傷付けて実を付けさせるという方法を導入し、結実に成功します。生命の危機を感じたアセローラの木は子孫を残さないといけないと思うのか、たくさんの実を付けるそうなのです。
また、こまめな剪定を行い低い木に育て上げて、台風の多い沖縄で被害を最小限にとどめられるように育成するなど、康文さんは次々と沖縄独自の栽培技術を確立していきました。
さらに、アセローラの実は日持ちが悪く輸送にも難点があることから加工原料としての用途が必須。そこで、康文さんは妻である哲子さんを社長にしたアセローラフレッシュを設立し、加工業を行う機関を作ります。
5月12日はアセローラの日
そうして、初の出荷を迎えた1990年には2トンのアセローラの実が出荷されます。
また、加工品については、その難しさから商品化から販売までのすべてを和歌山の業者に依頼しようと思っていたそうですが、試行錯誤の末、独自にジュースの開発に成功。本部町にある数件のホテルで扱ってもらえるようになり、アセローラの経済果樹としての光が見えてきました。
その後も並里さん夫婦は地元の農家に根気強くアセローラの栽培を勧め、年々着実に出荷量も増加、また、行政に協力を仰ぎ本部町の特産として売り出そうという取組みにも力を注ぎます。
1999年、行政の初仕事として本部町は5月12日のアセローラ初収穫の日を「アセローラの日」と制定し、町の特産品として更なる発展をすることとなります。