コロカ事業
瀬戸内海・北木島の灰干し
- 店舗レポート
子供たちが帰ってこない
平成9年、そんな少子高齢化問題に取り組むために、笠岡市が主導となって島を元気にしていく活動を開始します。
笠岡市はどのような活動にしていこうか論点を探るために、まずは笠岡諸島の6つの島にそれぞれ案を求めました。
しかし、それぞれの島の意見は皆バラバラ。しかもそれぞれの島だけにしか関係しないような自己完結型の意見ばかりが挙がり、笠岡市はそこに発展性を見出すことが出来ませんでした。
ただ、提案はバラバラでも抱えている問題は皆同じ。
「高齢化が進んでいくにも関わらず病院は本土にしかない」、「車を乗れない高齢者の島内での移動手段がない」、「学校がないから子供たちは島を離れてしまう」、「雇用もままならないので学校を卒業しても子供たちは帰ってこない」など。
そこで、笠岡市は6島が一同に会する機会を設け各島の提案をまとめるよう、話し合いを進めてもらうことにしました。
様々な問題を整理していくうちに、島間の交流が不可欠ということに気付いた各島は、最初の大きな取組みとして「島の運動会」の開催を決めました。
NPO法人かさおか島づくり海社の設立
平成10年の5月に開催された「第1回島の運動会」は、すべての島民同士の交流の場となり、島づくりを担う様々な活動のきっかけとなりました。
女性活動グループ「笠岡諸島生き活き会」や、笠岡市による島民の活動をサポートする「島おこし海援隊」などの活動が生まれたほか、今の島づくり海社の前身でもあり、島を全国に発信するために島のホームページを作る、「電脳笠岡ふるさと島づくり海社」が生まれたのもこの時でした。
しかし、どの活動も任意活動であり、ほとんどの人たちは本業の傍ら片手間での参加となってしまい、まったく前進しません。島づくり活動のスピードよりも島の高齢化のスピードのほうが速いといった状況が続きます。
そこで、より活動を本格化するため、そして持続的な運営のために「NPO法人かさおか島づくり海社」が設立されました。
「灰干し」との出会い
高齢化の先進地域だった笠岡諸島。それゆえに「島づくり」といった地域活性の取組みが始まったのも比較的早いほうで、実は、全国的に見れば地域活性活動の先駆者でした。
平成20年、地域活性と言う観点で全国各地から注目をされていた島づくり海社は、ある講演会にコーディネーターとして参加します。
そして、その講演会に参加していた三宅島の方との出会いにより、島づくり海社は灰干しを知ることになります。
三宅島の火山被害の現状、火山岩や火山礫、火山灰の処理に困っていると言う話を聞いた島づくり海社。また、三宅島ではその火山灰を利用した「灰干し」と言う干物を作って新たな産業を始めるという話も耳にします。
互いに離島と言うこともあり、意気投合した両島は火山灰を使った連携をその場で約束することとなります。
その後、三宅島の火山岩や火山礫を北木島の石材技術で細粒化し、海産物を「灰干し」という干物にして特産品化していく、地域連携型で行う新しい地域活性の取り組み「灰干しプロジェクト」を始動することとなりました。