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和歌山県有田郡湯浅町「湯浅醤油」を訪ねる

 

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醤油発祥の地・湯浅町

新大阪駅より特急くろしおに乗り約90分で今回の目的地、湯浅(ゆあさ)駅に到着です。
駅より歩くこと約10分、丸新本家の看板が見えると一気に視界が開けて湯浅醤油の蔵と敷地が見えてきます。
出迎えていただいたのは、はにかんだ笑顔が素敵な新古社長です。
醤油発祥の地として知られる湯浅町で、醤油醸造を続ける湯浅醤油の新古(しんこ)社長に醤油がどの様に出来たのか、その発祥から現在まで、お話をお伺いしました。

 

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金山寺味噌から

醤油の起源は、鎌倉時代と言われています。
1254年、中国(当時の宋)の金山寺(きんざんじ)で修行をした僧・心地覚心(しんちかくしん)が帰国し、湯浅町の近く・由良町で興国寺を開き、金山寺味噌を作り始め、近隣にも製法が伝わりました。
製造の工程上、金山寺味噌に入れられる野菜の水分が「たまり」として表面に染み出てきます。この「たまり」こそが醤油の起源と言われています。
当初は「たまり」はあくまでも副産物であったため、生産量はごく少量でした。少しずつ製法を改良し、醤油の醸造方法が確立して行きました。

 

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全国への拡大

戦国時代終盤までは、湯浅周辺で作られた醤油は生産量もさることながら、輸送手段が確立されておらず、大阪周辺までしか流通していませんでした。
この状況が一変したのは豊臣秀吉の小田原城攻めでした。
年貢として提供をした結果、当時造船が制限されるなか、恩賞として商船を賜ったのです。
この商船を利用した船便により、醤油は一気に日本全国で流通するようになったのです。

 

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紀州徳川藩のお買上げ

江戸時代に入ると、湯浅のある紀州は徳川御三家の一つ、紀州徳川藩の領地となりました。
紀州徳川藩は、「お買上げ制度」と呼ばれる藩による特産品の生産推奨と、購入制度を実施しました。特産品を藩が買い取り、藩として外部に販売し、藩の財源とする制度です。
推奨された特産品は、醤油をはじめ、備長炭・うめぼし・みかん・材木等があったそうです。
特に醤油は湯浅が奨励地として指定され、江戸中期~後期にかけては90軒を超える醸造元があったとのこと。
当時は米で作られる酒よりも高価な存在として取引されていたというお話もお伺いしました。

 

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