コロカ事業

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長野・千曲の杏もなか


 

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国産杏の歴史

その昔、杏は漢方薬の原料となる杏仁(杏の種)を取るために作られ、果肉の部分は利用されていませんでした。ところが江戸後期に果肉が杏干(あんずぼし)として売られるようになると、果肉も種も無駄なく販売でき、高値で取引されることから、徐々に生産が盛んになっていきました。

さらに明治時代に入ると、食の欧米化が進み、ジャムなどの加工品に利用されるようになります。千曲市でも、生産農家が中心となり、明治43年に森村杏改良組合が設立され、本格的に杏の加工品が作られるようになりました。

加工して使うことの多い杏の品種は20種類以上あり、糖度や粒の大きさが異なっていて、用途によって使い分けられています。千曲市では、「平和」や「信州大実」、「信山丸」、「昭和」、「ハーコット」といった種類が多く栽培されています。

国産の杏は、輸入ものよりも酸味が強く、豊かな味わいがあるのが特徴です。

 

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先代の技術を活かして

杏花堂は、今も、機械や圧力釜などを使用して製造日数を短縮することはしていません。ジャムなら、手で練り、手間暇かけて煮詰めます。完成まで1週間はかかる「杏花の実」は頑張っても1日100個程度しか作れません。

もともと作っていた甘納豆は、昔からの製法で作られているため、できあがるのに1週間程度かかります。杏を煮るのも、この製法にならっているので、とても時間がかかるのだそうです。また、杏をまるまる1個煮たお菓子「杏花の実」は、ただ煮てしまうと、小さくしぼんでしまいます。ふっくらと大きさを保ったまま煮るにはコツがあり、そういったところにも、甘納豆の製造技術が活かされています。作るものが変わっても、作り方の基本は変わっていないのです。

 

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杏花堂のこだわり

これだけの手間ひまをかけ、商品のラインナップもけっして少なくないのに、スタッフはなんと令子さんと製造を担当するご主人、そして先代のご両親だけ。完全な家族経営です。

「ですから大量生産は絶対にできません。あんずジャムなどは人気ですが、作ったものがなくなったらそれでおしまいです」

とても大変だと言いますが、丁寧に作ることを大切にしたいと、昔ながらの製法にこだわって作り続けています。さらに、食の安全とおいしさを考え、すべての商品が保存料無添加で作られています。そういった丁寧な姿勢はお客様にも伝わり、リピーターがとても多いのだそうです。

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