コロカ事業

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岐阜県加茂郡川辺町・白扇酒造

 

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豊かな水の地 川辺町

昔から変わらぬ本みりんを造り続ける酒蔵を目指し、JR名古屋駅より東海道本線・高山線で中川辺駅へ向かいます。JR特急ワイドビューひだは、その名のとおり窓が大きく、車窓を流れていく景色が広々と展開し、爽快感いっぱいです。
車内では沿線に見られる名所などが放送され、乗換駅となる美濃太田(みのおおた)駅までの間にも、犬山城や木曽川を進行方向右手に眺めることができました。カメラをお持ちの方は、いつでもシャッターが切れる体制をとられることをお薦めします。
我々は撮影こそままなりませんでしたが、日本ラインとも呼ばれる木曽川峡谷の美しさについ感嘆の声をあげてしまいました。
美濃太田駅で各駅停車に乗り換え、2駅目が中川辺駅です。無人の駅舎は古い木造でノスタルジックな雰囲気。駅を出て、線路と平行に走る街道を渡って5分ほど行くと、左手に白壁の蔵と並んで建つ木造の白扇酒造の店舗が見えてきます。
駅前には、白扇酒造の日本酒「花美蔵」の看板があり、お店の方向を案内してくれるので、参考になります。

 

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白扇酒造の歴史

店先にかかる杉玉を目にすると、造り酒屋に来たことを改めて実感します。そんな我々を出迎えてくださったのは加藤孝明社長です。
白扇酒造はみりん以外にも日本酒や焼酎を醸造していますが、詳しい創業年などはわからないそうで、江戸時代後期ころからみりん屋だったのだそうです。当時はみりんの名称として使われてきた「美醂(びりん)」の字から、「びりんや」と呼ばれ親しまれてきており、そのころは、清酒の蔵元から酒粕を仕入れ、粕取焼酎を造り、それからみりんを醸成していました。工場には当時使っていた釜や釜戸が残っていました。
明治になって酒類の製造免許が交付さてれからは、清酒の製造も始まり、現在では、八百津町の木曽川のすぐ近くにボトリング工場、飛騨川に近い本社醸造工場とあわせて、水資源豊かな地でみりんや清酒、焼酎を造っています。

 

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日本食の革命児

さて、突然ではありますが、「みりんが飲み物だった」と聞いて、驚かれる方も少なくないのではないでしょうか?
さっそく加藤社長にみりんのお話を伺いました。
「みりんは、味醂酒というような表現をしていたこともあり、昔は飲み物だったのです。女性の方に好まれた甘めのお酒でした。調味料として使われ始めたのは江戸時代に入ってからだから案外新しいんですよ」
そう話す加藤社長ですが、社長自身も自分たちが作るみりんについて、率直に
「みりんとはなんだろう?」という思いから、様々な文献を読みあさり調べているのだそうです。
「みりんを調べて行くうちに日本の食文化や歴史につながり、本当に興味深いんですよ。でも、まだわからないこともたくさんあるんですよ。」
と言います。そして、
「みりんは日本料理文化を大きく変えたものなんですよ。」
との言葉から始まり、みりんの魅力を教えていただきました。
実際、みりんが調味料として使われるようになった前と後では大きな違いがあるようです。それまで、塩、味噌、酢、酒しかなかった調味料に、砂糖、味醂、醤油、だし(昆布や鰹節)などが加わったのが江戸時代と考えられています。とくにみりんと醤油の出会いによってタレが生まれ、鰻屋をはじめとする丼物やそばのつけダレ、醤油ベースの煮物などが日本料理に加わりました。

 

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