コロカ事業

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金沢・箔一のあぶらとり紙


 

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箔一による製品改良

あぶらとり紙自体、金箔製造の副産物として何度も使われるようなものであるため、汚れや、紙としての強靭さを保つ成分が肌にとって刺激になったりして、女性が安心して使えると言えるものではありませんでした。
箔一の創業者である浅野邦子さん(現・代表取締役会長)は、そんな女性の目線に立って改良を重ねました。金箔を作る際に使用した和紙をあぶらとり紙にするのではなく、はじめから女性のためのあぶらとり紙を作るというものでした。後にこれは「金箔打紙製法」のあぶらとり紙として特許を取得するまでになり、その品質の高さから全国的にも認知され、今や女性の必需品となるまでに成長しました。

 

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金沢箔工芸品を最初に出した「箔一」

今、こうして美しい箔工芸品に数多く触れることができますが、それは箔一の大きな努力の賜物であることを、浅野社長のお話をうかがい実感しました。1975年の創業当時は、箔といえば仏壇や仏具などを中心に施され、普段の生活の中にあるようなものではない、非常に高貴な製品にこそ使われるべきと考えられていたようです。
「わたしたちは、この金沢の箔をもっと多くの人に知ってもらいたかったですし、普段の生活の中で使用できる製品として、どんどん使っていただきたかったんです。」
そんな思いから、“金沢箔の工芸品を箔屋として一番最初につくる”ことを成し遂げ、「箔一」という社名がつけられました。

 

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タブーを超えて

かつて、石川県内では箔屋が箔を使ったものを作り、それを売ることはタブーという暗黙の了解があり、古くからの風習などから、県内で新たな事業を展開することが困難となっていました。箔一はいち早く県外に進出し、東京を中心に事業を進めはじめたそうです。そうしているうちに「金沢には金箔の工芸品がある」という認識が広まり、逆に石川県内の箔事業者にも伝わるようになったそうです。
「タブーを超えて、地元ではない地での苦難を乗り越え、現在の箔一があるんです。」
かつて、なかなか売れずに苦労した営業経験を懐かしむように、浅野社長はおっしゃっていました。

 

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