コロカ事業

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山形・丹野こんにゃく


 

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丹野こんにゃくの創業

さて、いよいよお店に到着です。副社長であり、こんにゃく職人でもある丹野真敬さんが迎えてくれました。丹野こんにゃくの創業者は、真敬さんのおじいさまにあたります。

本店のある楢下地域は、江戸時代には参勤交代の大名行列の宿場として栄えたところ。こんにゃく芋が自生していて、農家は農閑期に炭焼きの灰でアクをとったこんにゃくを煮たそうです。その後、今のようなこんにゃく作りが始まりますが、自家用だったので型に入れたりせず手でちぎっていました。そのため、自然と丸い形になったのだろうといわれています。

やがて明治・大正時代になると、近くの赤山銅山の鉱山夫たちが「砂おろし」のためにこんにゃくを求めたので、商品としても作られるようになりました。また、昭和に入って家でこんにゃくを作らない人も増えてきたので、丹野こんにゃくとして本格的に創業しました。

 

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職人ならではの"加減"

現在では、こんにゃくは機械で作られることのほうが一般的ですが、丹野こんにゃくでは今でも職人の技術と経験が生かされています。朝の仕込みは、まだ暗い5時過ぎからスタート。なんと、丹野さんの祖父の代に番頭だったという80代の職人も、現役で指導中です。

こんにゃくの仕上がりを左右する仕込み作業をできるのは、その80代の職人と社長、副社長をあわせた3人だけ。そのあと2~3時間ほど寝かせたら、さらに4人の職人が加わって、こんにゃくに石灰を混ぜて練る作業が続きます。

「こんにゃくを練るのは、"腕1~2年、腰3~4年、腹で練るには5年以上"といわれるほど奥が深い作業。ただ作るだけなら機械任せでもできるけれど、微妙な加減だけは熟練の職人でないとできません。季節だけでなく、天気によっても、最適な石灰量や混ぜる時間が違ってくるんですよ」と丹野さん。

 

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おいしさを伝える使命

「以前は豆腐屋のように、みんなその日に食べる分を町のこんにゃく屋で買っていました。余計なものが入っていないのでおいしいんです。今はスーパーで日持ちがするのを買うのが当たり前でしょう。でも、そういうこんにゃくは、アクやくさみがあるんですよね」

丹野こんにゃくの商品は、賞味期限が玉こんにゃくで約一ヶ月と短い代わりに、やわらかく、くさみもほとんどないのが特徴。下ゆでの必要がありません。製造には地下二百数十メートルから湧くカルシウムを含んだアルカリ性の天然水を使用しています。

「山形でもこんにゃく屋はどんどん減っています。このままだと、食べ離れが進んで食文化もなくなってしまう。こんにゃくの本当のおいしさを守って伝えていくことは、こんにゃく屋としての使命だと思っています」

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