双翼のロストエデンⅢ Lord of Evil ―魔王―
「プロローグ」
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わずかに鉄の臭いが漂っていた。
水気をはらんだ土が熱を持ったせいで、焦げた匂いが湿り気と共に、むっと迫るようであった。
そこに、ぽにょんぽにょんと奇妙な足音が、楽しげなマーチのようにリズムを刻む。
合わせるように鼻歌が聞こえてくる。 -
???
ドミー、ドミー、ドミー・インス~。魔界1の人気者~。
ドミーがやってきた~。やってきた~。やってきた~。
み~んな~のもとに~。
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クィントゥス
おーい!
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ご機嫌な数小節を終わらせると、どこからか声がかけられた。
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???
ドミィ?
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そこに立っていたのは、クィントゥス・ジルヴァ。
魔界最古の名家ジルヴァ家の長男でありながら、家に帰ることは年に一度あるかないかの風来坊である。 -
クィントゥス
この辺りに村があって、うめえ定食屋があったはずなんだけどよ。
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見渡す風景は、焼け野原。
硬く縮こまった黒色の塊がごろごろ転がっているが、石には見えなかった。 -
ドミー
ドミー、ドミー、ドミー・インス~。ドミーの笑顔で泣く子も黙る~。
ドミーがやってきた~。やってきた~。
殺ってきた~……。
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クィントゥス
そうか。そういうことかよ。
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ここは魔界。弱い者は強い者に虐げられるのが、この世界の掟である。
村ひとつ無くなった所で、慌てる必要は無い。もちろん憐れんでやる必要も、なかった。
クィントゥスは肩をひねり、体に合図を送る。ほぐれた強張りがゴキッと音をたてて返事する。
準備は万端だ、と。 -
クィントゥス
さーて、殺るか……。
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ドミー
ドミィ……。
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憐れんでやる必要はなかったが、気に入っていたものをぶち壊されてしまったら、その怒りを鎮めなければいけない。
手っ取り早く、目の前の奴を殴るなどの方法で。
クィントゥスは右の拳を固く握りしめる。体を大きくひねり、その拳を目いっぱい引き絞った。 -
クィントゥス
おらあ!
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繰り出された拳打は豪快な身体の動きに反して、誰よりも基本に忠実。
鋭く最短距離で、ドミーの顔面めがけて、突き進む。
避けられないのか、避けないのか。ドミーは微動だにせず、微笑み続けていた。そして……。 -
ドミー
ドミィッ!!
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打ち込まれた拳は、ドミーの目前でビタリと止まった。
自らの震える拳に、クィントゥスは驚愕していた。 -
クィントゥス
なんで止まったんだ……?
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ドミー
ドミーはみんなの人気者~。
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それだけではなかった。
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クィントゥス
くっ、なんだこりゃ体も動かねえ。
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ドミー
ドミーは拷問が大好き~。
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ゆっくりと近づく笑顔。奇妙な鼻息がヒューヒューと生暖かい感触で、クィントゥスの顔を舐める。
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ドミー
爪を剥がし~。皮を剥ぐ~。生きたまま~。
皮を剥がされた奴にはドミーは着ぐるみをあげる。ドミーと同じ。ドミーの仲間がたくさん増える。
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クィントゥス
ちくしょう……、おかしな真似しやがって……。
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生暖かい鼻息がクィントゥスの頬を舐めまわす。わずかに鉄の臭いがした。
横目で見えるドミーは歯茎をむき出した汚い笑顔を満面に浮かべている。
と、風が吹いた。
歯茎を剥きだしのドミーの顔面に、ブーツの裏がめり込み、そして視界から消えていく。 -
ドミー
ヘベエェッ!
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瞬間、体の自由を取り戻し、クィントゥスはすぐさま身構える。
浮き飛ばされたドミーも起き上がり、四肢を地面につけて構える。
すぐにでも野性的な跳躍で飛びかからんと、目の前を睨みつけた。
が、再び風が吹く。今度は猛烈な突風である。 -
ドミー
ムギグググゥゥッ!
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ドミーも地面に根を張るかの如き四肢の力で踏ん張るが、掴んだ地面ごと吹き飛ばされてしまう。
ひとしきり吹いた風が止むと、クィントゥスの前にふたりが降り立つ。 -
???
危なかったじゃない、クィントゥス。
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クィントゥス
ハッ? いまのが危ない?まだ勝負も始まってなかったぜ。
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???
あら?それなら、もう少し待ってればよかったな?
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クィントゥス
相変わらず減らず口だけは一人前だな。
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???
そっちも相変わらず頭より体が動いてるみたいね、クィントゥス。
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少女は細い腕をクィントゥスの首に巻き付け、再会の抱擁を交わす。
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クィントゥス
ああ、当たり前だ。
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???
リザ、クィントゥス。まだ戦いのまっ最中だよ。
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お互い抱擁を解くと、クィントゥスは眼前を睨みつける。
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クィントゥス
そうだった。リザ、リュディ、気を付けろよ。あいつ妙な技を使うぜ。
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ぴょこたん、ぴょこたん。
珍妙な音が、静けさの向こうから聞こえてくる。
ぴょこたん、ぴょこたん。 -
ドミー
ドミィィィィーの顔を蹴ったのは誰だァァァァ!
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リュディ
あ、俺です。
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ドミー
お前かぁぁぁ!お前の皮を引き剥がしてやるぅぅぅ!
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鼻をひくひくと動かし、血走った目で、歯茎をむいて、恨みの言葉をが吐き出す。
ぴょこたん、ぴょこたん。ゆっくりと近づいてくる。 -
???
待つのよ、ドミーちゃん
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いつの間にか、ドミーの背後に女が立っていた。白い手がドミーの顎に伸びる。
怒りを宥めるように、優しく動いた。 -
ドミー
おほ、おほ、おほおほおほおほほ……。
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???
撤退よ。これ以上は意味がノンノン。それに収穫はあったし。
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ふたりは溶け込むように、闇の中に消えた。
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リュディ
何者?
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クィントゥス
さあな。 俺も通りかかっただけだ。んなことよりも、お前たち何で、こんなところに?
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問い返されると今度はリザが答える。
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リザ
〈歪み〉の調査よ。
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それを聞いて、クィントゥスも合点がいく。
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クィントゥス
そうか、そういやもうすぐだったな。
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リュディ
うん。ちょっと複雑な気分だけどね。
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クィントゥスは自分の前に立つ少年と少女に目を細める。
人と魔族という種族の違い、生きる時間の違い。 -
クィントゥス
……なんつーかあっという間だな。
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過ぎ去った歳月に、思わず笑顔がこぼれた。