コロカ事業
徳島・阿波正藍しじら織
- 店舗レポート
反物から商品へ
作れば売れる時代も昭和60年代に入りかげりが出てきたと藤太郎さんは話します。
長尾織布では、もともと反物の製造だけを行っていて、製造された反物のほとんどを呉服問屋に卸していました。その頃の消費者は、まだ日本人の文化として、反物を買って自分で着物を作る習慣が残っており、反物だけでも十分に売れる時代でした。
消費者の需要がどんどん製品化された物に流れ始め、呉服業界の売上も次第に低迷していきます。
そんな折、昭和63年の瀬戸大橋開通に伴い、多くの観光客が四国に来るようになります。
瀬戸大橋の架かる与島に1日数十台と観光バスが止まるようになると、長尾織布は与島に出店するために商品作りを始めました。
破格の中国産
夏に最適な甚平(じんべえ)やシャツ、浴衣などの売れ筋商品も出来上がり、順調に出張販売や小売が始まりましたが、今度は製品化を中国に移行する動きが出てきます。
10年ほど前までは、日本で織物を作って中国で製品化、そして製品となった物が日本で売られるという流れが一般化していましたが、ここ最近では製品だけでなく織物も中国で作られるようになっているそうなのです。
現在、日本の繊維市場は中国で生産された商品が大半を占めていて、甚平など長尾織布が得意とする商品も含め、中国産の商品は日本で作られる商品の半分以下の価格で市場に出回っています。
もちろん価格では太刀打ちが出来ないので、限られた売り方しかできなくなってしまいます。
2005年に正式に社長として就任した四代目はさらにインターネットに力を入れ、顧客のニーズに答えながらの商品開発で、どんどんファンを増やしていきました。
豊かさを求める時代へ
販路の拡大は今後の大きな課題として残るものの、製品の質に関しては中国産と比べれば大きく違いがあるといいます。生地の力強さや手触りなどの"品質"の違いもさることながら、一本一本の糸の色合いによる奥行きのあるグラデーションや風合いなど、日本人が持っている美意識にあわせた、なんともいえない"和"の雰囲気は、製品化まで全てを手がける長尾織布だからこそと言えるかもしれません。
「便利さを求める時代から豊かさを求める時代へ、コロプラの取り組みも、これからの新しい時代の動きだと思うので是非挑戦させていただきたい。」
と、伊太郎さんも仰ってくださいました。
徳島県初のコロカ店「長尾織布」は伝統と新しい考え方を大切にしこれからも前へ進んでいくことでしょう。