コロカ事業

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越前・杉原商店の漆和紙


 

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越前の言い伝え

そんな日本最大の和紙産地・越前にはこんな言い伝えがあります。

今から1500年ほど前、川上御前という紙漉きの神様が越前の山里に現れ、「この地は山間で農作物を作るには適さない。しかし、清らかな水があるので、この水を使って紙を漉きなさい」と、紙漉きを奨励し技術を伝えたというものです。

その言い伝えは形としても残っていて、杉原商店から400mほど歩いたところにある岡本神社は、その川上御前を祀ったとされる神社で、こちらは全国でも希少な紙祖神を祀る神社なのです。

岡本神社の境内に聳え立つ大きな木々からは、越前の歴史の深さと恵まれた自然の力を肌で感じることが出来ます。

 

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透かし技法は越前から

時代が移り明治に入ると、それまでにあった紙幣・藩札(はんさつ)に代わり始めての全国統一の紙幣が作られることになります。やはりその紙にも古くから高品質として名高い越前和紙が選ばれました。

さらに、西洋の印刷機が導入され大蔵省に抄紙(しょうし)局が設けられると、今度は技術指導のために越前の紙漉き職人が東京に招集されたそうです。

実は、今では当たり前である偽札防止のための透かし技法「黒すかし」は、越前で大成されたものだったのです。

 

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宮内庁に和紙を納める

そんな越前和紙の深い歴史の中、杉原商店の創業は江戸中期頃。杉原半四郎という名で代々和紙を生業としてきたといいます。「文明14年 杉原了賢」と岡本神社にある大滝寺に寄進の記載も残されているそうです。

また、杉原商店にはとても名誉な書物が残されています。

それは大正4年と昭和3年、大正・昭和両天皇の御大典の儀式に使用される和紙を宮内庁へ納めたことを記す書と、昭和3年の御大典用紙運搬の直前、出発の際に撮影された1枚の記念写真です。そんなところからも、杉原商店が当時から越前を代表する和紙問屋だったことが伺われます。

その後は、京都のお茶やお花のお免状用紙、学校の卒業証書、お菓子屋さんの包装、熨斗紙などの卸しを生業に近年まで営んできたのだそうです。

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