コロカ事業

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能登の魚醤いしり

 

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秀吉政権五大老ゆかりの地

金沢駅からJR七尾線に乗り込み1時間40分ほどで七尾駅に到着します。

天然の良港を抱えた能登の玄関口である七尾市は、古くから交通の要所で、あの北前船の寄港地の一つということもあり港町・商業都市として発展を続けてきました。

豊臣秀吉政権の五大老であり、加賀100万石を築き上げたことでも広く知られている前田利家が、織田信長に能登一国を与えられ七尾城に入城したのが1581年(天正9年)のこと。前田氏はその後、山城で利便性に難のある七尾城から、港に程近い小丸山に城を移そうと築城を開始しますが、1615年(慶長20年)の一国一城令制定により築城半ばの小丸山城と七尾城が共に廃城となり、本拠地を尾山城(のちの金沢城)に移すことになります。

七尾市の中心部は、その小丸山城築城の際に整備された城下町のあった場所です。そして、400年たった今でもその城下町の趣が残っているところが七尾市の特徴でもあります。

駅から徒歩8分。そんな、古き良き町並みを今でも残し続けている一本杉通りという商店街のほど近くに今回の新しいコロカ店「いしり亭」があります。

 

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まちづくりの会社

「いしり亭」で我々を出迎えてくださったのは、株式会社御祓川(みそぎがわ)の社長・森山奈美さんと、同社・みせ育て課の田中勝良さんでした。

株式会社御祓川では「まちづくり」の活動を中心に様々な事業を展開しているとのこと。

そこで「まちづくり」と飲食店「いしり亭」の結びつき、また日本三大魚醤(※)の一つでもある「いしり(いしるとも言われる)」と「いしり亭」の結びつきについて伺ってみました。

※日本三大魚醤(ぎょしょう):秋田のしょっつる、石川のいしり、香川のいかなご醤油

 

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マリンシティ構想

1980年頃。古くは万葉の時代から港町として繁栄してきた七尾地区も、この頃になると衰退の一途をたどり始めます。

七尾全体の衰退もさることながら、能登島大橋ができたことをきっかけに生活や観光の拠点でもあった波止場が機能しなくなり、港そのものも元気をなくしていったそうです。

そして、その現状に危機を感じた行政が1985年頃から「七尾マリンシティ構想」というまちづくり計画を立案し、港町をもう一度復建させ元気のある七尾に戻していこうと本格的に動き出しました。

官民一体でまちづくりに取り組み始めた七尾市は、港からの再生を図るために、能登食祭市場という施設を作り、その後、駅前のビル再開発など地域活性を担うための建設に努めることになっていきました。

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